“千葉医学”135年余もの長きにわたり受け継がれてきた、医学の伝統と誇り

インタビュー 千葉医学のDNA

千葉医学のDNAについて、副医学部長の田邊政裕教授にうかがいました。

— 千葉医学とはどういうものなのでしょうか。

副医学部長の田邊政裕教授

千葉医学という言葉は、「千葉大学医学部八十五年史」にある鈴木五郎先生の文章、「大学病院が医育機関として草創以来80有余年の長きにわたり、間断することなくその使命を果たしてきた一筋には、何等の変動もない所に千葉医学の伝統が流れる」」という一文に由来します。千葉大学医学部という医師を育成する機関だけでなく、大学院や附属病院、医学部を卒業した先輩の方々、同窓会、関連する病院、さらには千葉医学会という学術団体等千葉大学医学部に関連する全ての人々、組織を包括する概念として理解していただきたいと思います。後から述べます135周年記念事業で初めて提唱された概念です。

これは千葉大学大学院医学研究院・医学部と附属病院で学び、研修・修練、研究した全ての人々が共有できる概念であり、過去、現在、未来へと続く時間軸を有しています。

2009年10月に千葉大学医学部135周年記念事業の一環として、135年の千葉大学医学部の歴史を振返り、次の100年を構想する「千葉医学の伝統言語化」というプロジェクトをスタートしました。ゐのはな同窓会の皆さん等、多くの方々から千葉大学医学部の伝統を表す言葉を募集しました。様々なご意見が寄せられました。それらはいずれも千葉大学医学部の創設から現在に至るまで変わらない、現在の医学研究や医療の様々な活動に共通する千葉医学というべきアイデンティティが皆さんの心中に脈々と流れていることを改めて実感しました。

実際、私は現在、千葉大学大学院医学研究院・医学部や医学部附属病院に所属していますが、それらは全て先輩の先生方が築いてきた医療・医育機関としての伝統の上にありますし、数々の研究や医療活動は、これらの機関で学んだ多くの先生方や関連する組織との連携によって成り立っています。このように、あらゆるところに長きにわたって継承されてきた千葉医学という共通の基盤を再確認することができます。

— そのルーツはどこにあるのでしょうか。

1874年に千葉町、登戸村、寒川村などの住民が醵金をして共同で共立病院を作りました。これが千葉医学のルーツです。そこからスタートして、公立千葉病院、県立千葉医学校(附属病院)、第一高等中学校医学部、第一高等学校医学部、千葉医学専門学校、千葉医科大学と変遷し、昭和24年に千葉大学医学部となりました。千葉大学医学部としての歴史は60年余りですが、それよりもはるか前から千葉医学としての歴史やDNAがあるということです。

— 千葉医学の三つの教えについてお聞かせください。

「千葉医学の伝統言語化」プロジェクトで選定された以下の三つの言葉がそれに相当します。格言、信条、行動規範、理念などいろいろな意味を含んでいます。

  • 獅胆鷹目行以女手(したんようもくおこなうにじょしゅをもってす)
  • begin.continue
  • 人間の尊厳

最初に長尾精一(1850~1902)について説明します。
彼が今日の千葉大学医学部の礎を築いた、千葉医学の祖と言っていいと思います。

長尾精一
長尾精一県立千葉医学校、第一高等中学校医学部、第一高等学校医学部、千葉医学専門学校の長として本学の発展を身をもって推進した千葉医学の祖。
「名医あっての病院である。既に立派な病院ができている、千葉病院以上の名医がいる所はない。したがって医学部が設立されたならば病客は四方から集まり、将来は患者が多くて困るようになることを、長尾は責任を持って断言する」(1886年)

1887年に彼の努力により第一高等中学校医学部に選定されました。これにより地方の一医学校だった県立千葉医学校が1府10県を代表する医学部、すなわち関東甲信越東海までを代表する医学部になりました。そして医学を志す多くの優秀な人材が数多く集まり、秀でた医師や研究者を輩出するに至ったのです。

獅胆鷹目行以女手

このような礎の上に千葉医学の三つの教えが生まれてくるわけですが、まずは「獅胆鷹目行以女手」です。これは三輪徳寛(1859~1933)によるものです。彼は、千葉大学医学部・外科学の祖と言われています。

千葉医科大学初代学長になった彼は、千葉医学の教えの一つになっている「獅胆鷹目行以女手」という言葉を掲げました。単に言葉を掲げただけでなく、彼は外科手術室(臨床講義室)にこの「獅胆鷹目行以女手」という壁書を作り、日々この言葉を意識しながら医療に携わる環境を作りました。ですから、附属病院で学ぶ多くの外科医がこの言葉を支えに手術を行い、外科医として修練してきたというわけです。

「獅胆鷹目」というのは、獅子の胆力(ものに動じない気力)、鷹の眼力(知力)のことです。「行以女手」というのは、手術を行う際には女性の手のように繊細にやさしく臓器を扱って緻密な手術を行うという意味です。

この「獅胆鷹目行以女手」を基にして千葉医学のロゴマークが作られています。ロゴマークでは、「獅胆鷹目行以女手」に、医の三徳とされる「知」「仁」「勇」で言うところの「仁」の部分、つまり医師にとって必要な態度や価値観をハートとして加えました。手は女性の手に限定せず、人間の手を表しています。これら全てで千葉大学医学部の学生や卒業生、附属病院で研修、修練する医師や研究者が目指すべき医師像を表現しています。外枠のChiba Medicineは千葉医学を意味し、Founded 1874はルーツである共立病院が設立された年を示しています。

千葉医学ロゴ

千葉医学ロゴマーク
外科手術室
外科手術室「獅胆鷹目行以女手」という言葉が壁書として掲げられていた。
三輪徳寛
三輪徳寛 千葉医科大学初代学長。
千葉大学医学部、外科学の祖。

begin.continue

中山恒明
中山恒明 食道がん外科治療の世界的パイオニア。
シカゴの国際外科ミュージアムに業績が展示されている。

「begin.continue」は、中山恒明(1910~2005)の言葉に由来します。
彼は、第2外科の2代目の教授ですが、「食道がんの外科治療の世界的パイオニア」と言われています。当時、食道がんは手術をしても生存することが困難な病だったのですが、彼は秀でた技量、手術の工夫、手術器械の開発によって治療成績を飛躍的に向上させました。

彼は、「まず始めること。始めたらやめないこと」という言葉を残しています。この言葉には、まさに彼が日々実践してきた食道がん治療に対するイノベーションの発想と命を大事にして最後まで諦めない診療姿勢が込められています。

シカゴに国際外科学ミュージアムという世界的な業績を残した外科医が展示されているミュージアムがあります。中山恒明の業績はそこに展示されていて、「始めることが半分成功したことで、止めないことが成功すること」という言葉が英語で掲示されています。Beginning is half the success, not giving up on the way is complete success.という言葉です。ですから、この言葉は、世界中の外科医が知っている言葉であり、その言葉を糧に活躍している外科医が世界中に今もいるのです。

我々はこの中山恒明の世界的に知られた言葉を、「begin.continue」という2語に集約して、千葉医学の教えの一つとして採用しました。

国際外科ミュージアム

国際外科学会日本支部による展示の紹介

川崎富作
川崎富作 川崎病の発見者。
川崎病の病因、治療法についての研究。
白壁彦夫
白壁彦夫 胃二重造影法を開発し、早期胃がんの概念を確立。
胃がんの早期発見、早期手術による治療成績の改善に貢献。

偉大な業績を残した内科医、小児科医にもbegin.continueの信条を見ることができます。白壁彦夫(1921~1994)は、旧第一内科出身で、胃二重造影法を開発した内科医です。今でも広く行われているレントゲン撮影方法です。それまでのレントゲン撮影はがんの腫瘍が大きくなってからでないとわからなかったのですが、彼の開発した胃二重造影法によって早期がんも発見されるようになりました。

彼の軌跡を見ると、やはり中山恒明と同じように、アイデアを思いついたらすぐに実行してとにかく最後まで粘り強くやり続けるという執念を感じます。「begin.continue」という精神をそこに見ることができます。

川崎病を発見した小児科医、川崎富作(1925~)にも共通の信条を見ることができます。
彼は、患児の症状を非常に詳細に記録していました。そうしていく内に、ある共通した症状が見えるようになってきたのですが、それがこれまでのどの病気とも違っているということを証明し、川崎病という新しい病気の発見につながりました。本当に地道な観察と論理的な思考を何年も積み重ねてきた結果です。これこそ、千葉医学の底流に流れる「begin.continue」という精神の現れだといえると思います。

人間の尊厳

「人間の尊厳」は、山浦晶元病院長が中心となって作成した、次のような医学部附属病院の基本理念です。

人間の尊厳と先進医療の調和をめざし、次世代に伝える
Harmony of Humanity and Advanced Medicine

千葉大学医学部の135周年記念事業の際、同窓会員を含む多くの方にアンケートをしたところ、上記の二つに加えてこの「人間の尊厳」も千葉医学の教えとして広く共有されていることがわかりました。医学部附属病院という医療現場で、診療に関わる多くのスタッフがこの言葉を支えに日々診療に従事しているのです。

今、三つの教えを一つ一つ見てきましたが、これら三つの教えは、千葉医学の先達が135年の歴史の中で作り上げ、受け継いできた千葉医学のDNAなのです。この伝統と教えによって千葉医学は我が国の医学・医療の発展に寄与し、地域医療にも貢献してきました。

現在、医学部では、これから医学の世界に羽ばたく若い医学生にも千葉医学の教えを伝えるようにしています。千葉医学のロゴマークには先達から受け継がれてきた千葉医学のDNAが表現されているのだということを理解し、それを目指して日々研鑽すると共に次の世代へそのDNAを継承していただきたいと期待します。

— ありがとうございました。

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