病院建築の基本形はパビリオン型であり、ナイチンゲール病棟(セント・トーマス病院・1871年)がその原型とされる。本邦では、1890年竣工の日本赤十字病院がパビリオン型の集大成とされる。
機械換気の登場により、片側窓の病室が必ずしも換気に不利とはいえなくなり、ブロック型が登場した。本邦では、慶応義塾大学医学部附属病院(1932)、千葉大学医科大学附属病院本館(1936)がブロック型として建築された。
しかし、第2次大戦後のモデルはパビリオン型に戻った。千葉医科大学附属病院(現医学部本館)は、貴重な現存する本邦最古のブロック型病院建築である。
(千葉大学工学部 中山茂樹教授より資料の御提供を頂きました)
【千葉医科大学附属病院(現医学部本館)について】
設計者:文部省(柴垣鼎太郎*)
昭和11年竣工。
当初、大学の附属病院として建てられたこの建物は、現在医学部本館として、十分にその機能を果たしている。表面に当時多用されたスクラッチタイルを貼った、鉄筋コンクリート構造の巨大な建築物である。鉄筋コンクリート構造は我が国でも大正初め頃より徐々に建築に用いられ始めたが、本格的に採用されるようになるのは、関東大震災後のことで、昭和初期に定着し、この建物が建てられる頃にはなくてはならない構造となっていた。当時の建築的状況を代表するものとして、この本館の価値は高い。
しかし、それだけではなく、デザイン的質もかなり高いと言える。玄関車寄せを構成する下部が細まった4本の柱がまず目を引く。また巨大な全体にもかかわらず、繊細な欄間の意匠や、色取りどりの床のモザイク等、随所に細やかな配慮が見られる。そして何と言っても、ステンドグラスのトップライトから光が降り注ぐ上昇感のある吹き抜け空間が特に印象的である。
(千葉県教育委員会報告書 より)
*柴垣鼎太郎:大正から昭和初期を代表する建築家の一人。文化遺産となっている信州大学繊維学部講堂(旧上田蚕糸専門学校講堂)の設計者としても知られている。